toro 005
Feb 26 2025
《Susuki》(2024)はピアノのために書いた小品です。この楽曲では俳人、種田山頭火(1882-1940)(*1)による次の俳句をもとに作曲を行いました。
この俳句は大正5年(1916年)に詠まれた句で、『山頭火俳句集』(岩波文庫)(*2)に所収されています。
この楽曲は拍子、小節線のない自由な記譜法で作曲されています。同じ連桁中にある白い符頭、黒い符頭はそれぞれ音価の(厳密ではない)大小を示し(*3)、また点線は音の順序を補足的に示しています。加えてこの作品は聴覚的にもわかるように3つのセクション=段から構成されており、それぞれ「Clouds」(雲)、「Light」(ひかり)、「Silver Grass」(芒)の表題が設けられています。
この楽曲の作曲にあたっては大きく分けて2つの操作を行いました。一つは句のもつ映像的なイメージを直接的に音響化することを目指す詩的な、あるいは<抽象 Abstract>の音操作、そしてもう一つは句のもつ数的な要素を展開することを目指す<具体 Concrete>の音操作です。
まず一つ目の音操作について、ここではまずこの句で詠まれている描写を静的なイメージとして考えました。ただよう雲があり、そこからたゆたう芒(すすき)の海へと一本の光が射している光景、その空漠——。その上で、雲(上空)から光(下降)を伝って芒(地上)へと向かう視点の動的なイメージを想定し、これに直接楽曲の3つのセクションが対応するように構成しました。楽譜を見てもグラフィカルにわかるように、この作品は、上空である「Clouds」(第1段)は不安定で浮遊的モティーフ、「Light」(第2段)は地上へと向かう下降系のモティーフ、そして地上の「Silver Grass」(第3段)は静的なモティーフでつくられています。
次に二つ目の操作について、ここでは句の持っている数的な特徴に着目しました。この句は22の音でつくられていますが、これを意味の切れ目に沿って3つに分割すると「8/7/7」の比を得ることができます(図1)。そしてここで得られた3つの値を、それぞれ3つのセクションに対応させていくことで、セクションごとの、その中心となる値を決定しました(図2)。
具体的には、セクションごとに割り当てられた値は、一つの同じ連桁によって括られた連桁グループを構成する音符の数に対応しています。また一つの連桁グループに対して一つの調性 Tonally (*4)が設定されており、これらの操作によって元の句の持っている聴覚的なリズムを抽象化する形で、楽曲に組み込むことを試みています。図3を見てわかるように、第1段においては全ての連桁が8音によって構成され、第2段、第3段は7音によって構成されています。この構造から、この一つの楽曲が先の俳句を拡大した形でつくられているとも考えることができます。また図4を見てわかるように、それぞれの連桁が異なった調性を持ち、それらが時に水平に重なりながら楽曲が進行していきます。なお、調性は使用する音列としての参照に止まるため、主音を持ちません。よって長調とその平行調の短調(自然的短音階)はイコールの関係にあります(*5)。ここでは長調とその平行調にあたる単調を合わせて表記しました。
「Clouds」ではG♭Major(E♭Minor)とC Major(A Minor)、またE Major(C# Minor)とB♭Major(G Minor)の重なり合いが見られ、ここでは全体を通して増四度関係にある二つの調による多調(*6)のシーケンスであることがわかります。また増四度の多調は12音全ての音の出現を許す(*7)ので、結果としては調性感を感じさせない、無調的 Atonalな響きに近づきます。また「Light」では右手と左手がちょうど平行カノン(輪唱)(*8)になっており、「Clouds」に代わって音楽的な推進力が志向されています。「Silver Grass」では陰旋法(*9)を思わせるハーモニーに句の持つ特徴的な7のリズムが強調されていることが伺えます。
この楽曲の制作にあたっては少なからず《鳥は星形の庭に降りる》(1977)にみられる武満徹 (1930-1996) (*10)の作曲法(*11)、またあるいは、彼が影響を受けたガストン・バシュラール Gaston Bachelard (1884-1962) (*14)によるイメージ論に影響を受けています。バシュラールは『空と夢』の中で以下のように述べています。
いまでも人々は想像力とはイメージを形成する能力だとしている。ところが想像力とはむしろ知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、それはわけても基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える能力なのだ。イメージの変化、イメージの思いがけない結合がなければ、想像力はなく、想像するという行動はない。もしも眼前にある或るイメージがそこにないイメージを考えさせなければ、もしもきっかけとなる或るイメージが逃れてゆく夥しいイメージを、イメージの爆発を決定しなければ、想像力はない。(*15)
原塁(2022)は、武満自身が《鳥は星形の庭に降りる》の作曲法について論じた『夢と数』における記述を、バシュラールの言葉を援用して、「武満は自身が見た「不定形」な「夢」のイメージを、想像力を用いて、自らの音楽という「新たなイメージ」へと解放し、それを「数」の定形をもって定着させたということになるだろう」と述べています(*16)。今回の私の作品は、直接「夢」に依拠しているわけではないものの、句に見たイメージを「数」の定形を用いながら音楽のイメージへと移行させるなかで制作されたと言えます。
以上、この作品では、句のイメージを視覚的なイメージを介して音楽的なイメージへと開放する<抽象 Abstract>の音操作、そして「数」の定形をもってそれを定着させる<具体 Concrete>の音操作によって制作され、そこには少なからず武満徹、バシュラールの影響が見られるとまとめることができます。
- 石原遼太郎
脚注